“死を意識する”について、、、
「死を意識する事で人生を全力で生きれる」
「死を意識する事で感謝の気持ちが生まれる」
「死を意識する事で自分にとっての大切なもの、心の中の本当の気持ちに気付ける」
など、ネットや本でもこう言った言葉をよく見たりします。
病気になって辛い経験をした事がある人や、身近な人の死を目の当たりにした人ならなんとなく分かると思いますが、
実際にこの【死を意識する】と言う事で気持ちにどんな変化が出るのか?
今回は、この“死を意識する事”と“ウェルネス(心身共に健康的で輝く人生を送ること)”がどんな繋がりをもっているのか、【メメント・モリ/memento mori】についての考察です。
メメント・モリとは、死を意識して“生きること”
【メメント・モリ/memento mori】とは、死はいつ訪れるか分からないと言うこと。
「一寸先は闇」と言われるように、この生きている世界ではいつ何が起こるか分かる事ができず、人は今の“この瞬間も死と隣り合わせ”であると言うこと。
一言で言うなら、
【メメント・モリ/memento mori】は【いつか必ず死ぬことを忘れるな】と言う意味になります。
それが“死を意識して生きる”こと、となります。
メメント・モリは人生を輝かせる言葉
ドラマでよくある話ですが、余命宣告された人が余命を全うする前に何らかの出来事によって亡くなってしまう、と言うドラマや映画があります。
こんな事あるのか?
と、思う人もいるかもしれませんが、実際にあることだと思いますし、人が亡くなると言うのは全て同じだと思います。
この日に死ぬ!なんて予言して逝ってしまう事は、故意的でない場合を除いてはほぼ不可能です。
このとおり、
人は【いつか必ず死ぬ】けど、死ぬ日を決めれないため【いつ死ぬか分からない】と言うことです。
いつかこの世から居なくなる日が来るけど、その日がいつ来るのか分からない、だからこそ人生を全力で生きる事ができます。
「明日死ぬとしたら、今日どんな行動をとっていますか?」
人との別れはいつ起こるか分からない、そして人の生は有限であること、それらに気付き、意識する事でより良い選択ができるようになり、人生を輝かせるような生き方をしていきやすくなります。
その人生をより良いものにするための言葉が【メメント・モリ】です。
ただし、ここで注意しておくことは、死を他人事のように捉えるのではなく、自分の事のようにただの知識としてではなく、“感情的に認識をして受け入れている”と、言うことが肝心になります。
そのためには、まず【死】に対しての知識、理解も必要となります。
人には平等な事がある
全ての人にとって平等なものとは何か?例外なく誰にでも訪れるもの、それが【死】です。
どんなにお金持ちで人徳や名誉があり栄冠や成功を手にした人でも、どれだけ強靭で鍛えられた肉体を持っていても、
【時間の流れ】と【死】には逆らえない、抗えないと言うこと。
時間が流れた先に死と言うものがあり、人生はその死に向かって時間を進めているかたちになるため、人生では有限であり、いつか必ず死ぬと言うことです。
世の中で変えられないものがあるとすれば、それは【いつか死ぬと言うこと】【全ては変化していくこと】【時間が流れ】
よくよく考えてみれば全て同じ意味ですが、変わらない事は、全て変化していくと言う事です。
【いつか必ず死ぬことを忘れるな】の真意
ここで考えてほしいのが、
私もあなたも、家族も恋人も友達も、職場の人もペットもいつか必ず死ぬ、それを想像してみたり少し考えてみた時、自分はどんな事を思うのか?
それについて向き合わなければ、「へー」と流してしまいそうですが、あえてその考えに向き合って考えてみた時どう思うのか、、、
考えた時の一瞬くらいはきっと、
・大切な人の事を考えて感謝の気持ちがでてくる
・やりたいことをやろう!
・幸せになろう、幸せにしよう!
・今のこの時間を大切にしよう!
・身の周りの大切な人達と過ごしている時間も大切にしよう!
・人目なんか気にせず、自分や誰かのためにも、今自分がもっている夢や目標に対して一生懸命に全力で取り組もう!
などと言う気持ちが少しくらいは出ると思います。
先ほども書きましたが、
「明日死ぬとしたら、今日どんな行動をとっていますか?」
きっと、何も考えず生きていたり、人目を気にして生きていた人なんかは普段している行動とは違う行動をしようと!
と考えたりすると思います。
これはスティーブ・ジョブズの言葉です。
そして、これが【メメント・モリ(いつか必ず死ぬ事を忘れるな)】と言う言葉に込められた意味で、
【死を意識して生きる】と言う事です。
メメント・モリは、ただ単に“死を意識する”
ではなく、
死ぬ事を忘れずに意識して生きていくこと!
最後の【生きていく】と言う事がメメント・モリの本当の意味でも大切なのだと思います。
メメントモリは、生を意識することに変わる
世界の片隅にの本の作者の後書きに書かれたもので、引用させていただきます。
「わたしは死んだ事がないので、死が最悪の不幸であるのかどうかわかりません。
他者になった事もないから、すべての命の尊さだの素晴らしさだのも、厳密にはわからないままかも知れません。そのせいか、時に『誰もかれも』の『死』の数で悲劇の重さを量らねばならぬ『戦災もの』を、どうもうまく理解出来ていない気がします。
そこで、この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描く事にしました。そしてまず、そこにだって幾つも転がっていた筈の『誰か』の『生』の悲しみやきらめきを知ろうとしました」
生と死は表裏一体で、
死を意識することで結局は今の現状や生活、夢や目標、大切な人の事など、生を意識することに繋がります。
自分が生きている事を感じなければ死と言うものは想えないし、生きていないのであれば死はやってこない。
こんがらがってしまいそうですが、
生死と言うものは対になっていて切り離せないもので、
生きている実感があれば死について考えた時、自分の中になんらかの感情が産まれてきます。
その感情を感じとり、死を意識して生をも意識することで、
【生きることの有限さ】を自分事として理解し、より良い生き方を選べるようになると思います。
が、それは正しくもあり間違いでもあります。
死を意識することが裏目にもでる
2011年に東日本大震災が起きた時には、「地域の絆が強くなった」
と言う報告があり、
これは人間の死に対する感覚だと思います。
それは震災などの恐怖で【死】を意識してしまったとしても、
それと同時に【今生きている】と実感し、それを感じとった事で他人との絆が生まれました。
死の恐怖から逃れるために何か大きな安定するものを求めるのが人の心で、
今回の震災での大きな安定したものと言うのが、共同体と言う絆です。
生きるためのより良い選択として、その絆を作り上げる事で助け合いや復興作業などができるようになり、死の恐怖から逃れ、恐れずに立ち向かう事ができ、強く生きていくことができるようになります。
しかし、人の心はその反対もあります。
一言で言うなら、
死を意識した時に投げやりになる事です。
死を感じとる事でより良く生きようとする場合と、逃れようとする場合があります。
例えば、
死を意識する事で健康的な生活をしようとする場合と、
どうせいつか死ぬんだし、、、と、ジャンクフードやタバコなどを摂取する比率が増える場合とあります。
震災の場合ですと協力したって復興なんてすぐできないし、またすぐ地震がくるかもしれない、いつどうなるか分からないんだから頑張ったって意味がない、好きなことだけをする!と、孤立して自分の身だけ守ろうとか。
いつか訪れるであろう死の恐怖により、
長生きのためと、自尊心を保って野菜や運動が必要だと考えたり、
逆にいつ死ぬか分からない不安や恐れから、健康的な生活を頑張ってしても今更無意味だと考えたり、、、
反応が真逆に現れる事があります。
これは、健康的な生活の良さを知っている人、信じている人は健康的な生活を送るし、
それらが無意味だと思っていれば、どうせいつか死ぬから、、、と健康云々ではなく好き放題したくなります。
なぜ上記のような行動になってしまうのか?
死を受け入れてるか、受け入れずに逃げているか?
これは、
・いつか訪れる死を受け入れている
・死を受け入れる事ができていない
この2つの考え方の差によっても行動が変わってきます。
怖いことですが、人はいつ訪れるか分からない死を受け入れる事ができれば、最後の幕をおろす時くらいは笑っていられるような、そんな後悔のない人生を送ろうとするからです。
受け入れる事ができていなければ、もしくは死を意識する事が他人事としての捉え方になってしまい、
自分事として死を認識できていなのであれば、「死にたくない!」「いつ死ぬか分からないし!」と、死への不安に怯え投げやりになって後先や後悔、人の事など考えず自分の利のためだけに行動しやすくなります。
ではどうすれば受け入れる事ができるのか?死を意識して生きるためにはどうすればいいのか?
【死を意識して後悔なく生きる】にはどうしたらいいのか?
「いつか死ぬかもしれない」と、普通に考えただけではあまり実感がわいてきませんが、
・死は誰にでも平等に起こる
・死はどんなに凄い人でも代わりがきかない
・時間は無限ではなく有限であること
・その死(別れ)はいつ起こるか分からない
など、こういった事をまずは忘れずに“知識”として頭に入れる!
それを踏まえたうえで、
「私はいつか必ず死ぬ」「誰々(大切な人の名前)ともいつか必ず別れる日が来る」
と、死を他人事としての知識として捉えるのではなく、自分の感情としていつか訪れる死を認識すれば、受け入れざるをえなくなってきます。(死と時の流れはどう考えても逆らえない絶対的なものであるため)
そのためにも、メメント・モリについて考えたり、それを理解しておくこと、人生についての質問を自分に問いかけることです。
絶対的に忘れてはいけないのが、上記に書いた通り、
・いつか訪れる死は絶対に避けられない
・生きている時間には限りがある
・その限りある時間がどのくらいか分からない(いつ死ぬか分からない)
と言う事です。
そこで、
もしそのまま別れていいのであれば別ですが、
こう言った事を自分に問いかけてみるのも死を受け入れるための手段になります。
このように、もし伝えたい言葉があるとすれば、それを表現するために言葉や行動として伝えていくように相手を思いやり大切にして生きる、
やりたいことがあるなら、誰だか知らないような人の目なんか気にせず後悔しないように行動していく!
など、そう言うことを考えて悔いがないように自分らしく積極的に生きれる、死とは反対にイキイキとした人生を過ごす事が、死を意識して生きる事(メメント・モリ)だと思います。
逆に言うなら、死を意識して生きる事ができれば自分らしくイキイキと生きる事ができるようになると思います。
いろいろ考えた結果
健康の知識や大切さはもちろん、
そして潜在的な欲求本能に気付いたうえで“死を想う”と言うことは必要な事であると思いました。
【メメントモリ】死を意識すること
死ぬ間際に本当に人生これで良かった!
苦労も多々あったが大いに楽しめた!
悔いなし!憂いなし!
自分の本当の夢を追いかけ、結果がどうであれ夢に向かって必死で生きた!
大切な人を想い、幸せにするために愛をもって接した!
自分がしたいことで社会に貢献することができた!
もう一度この人生を、生まれ変わっても自分になりたいと言える!
最後の最後にそう思える事ができ、愛で満ち溢れていたことを思い出せるような人生って本当に幸せだと思います。
そして、そんな人生にするための方法が
【メメントモリ】死を想い意識すること
の、本質だと思います。
死を意識して生きていく。
それが自分の大切な人のため、夢のため、最高の人生にしていくための力になり、
人生をよりよくするための選択肢の入口になると思います。
最後に
死を意識して生きていく事、、、
それは迷いを減らし、自分の考えを鮮明にし行動する力を与えてくれます。
そして、死を意識する事で投げやりにならないためにも、、、
健康への知識、そして自分の潜在的な自分の気持ちに気付く事も大切です。
死を意識して得られる死生感、それを思う事で自分にとってより良い選択、そして最後に幸せと思える生き方をしていきたいですね。
・人生において自分らしく生きれたかどうか?
・大切な人達など、他人の幸せを願う事ができたのか?大切にできていたのか?
・感謝の気持ちをもって愛を伝える事ができたのか?
これをもう1度自分に問いかけてみて、自分なりの答えが出せる人生にしていきたいですね。