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メメント・モリ/死を意識して生きることでより良い生き方、選択ができる考え方について

メメント・モリ/死を意識して生きることでより良い生き方、選択ができる考え方について

死を意識する”について。

「死を意識する事で、、、」

など、ネットや本でもよく見たりします。
これは本当に必要な事なのか?
死を意識する事でどう変わるのか?

など、少し考えてみました。

メメント・モリ/memento mori

これは【死を想え】【死を忘れるな】と言う意味です。

これから書いていく内容に、

※【君の膵臓を食べたい】
ネタバレも少し書いてますので、
見てない人や見たくない人は読まないで下さい。

死を意識すること

昨年、ヒスイコウタロウさんの【明日死ぬかもよ?】と言う本を読んでいる時期に、

【君の膵臓を食べたい】を映画館で観たんですが、その時は衝撃受けたのと同時に涙してしまいました。

※2回目ですが、ネタバレになるのでまだ見てない人や、ネタバレ知りたくない人は見ないで下さい。

※もう1つ言うなら、君の膵臓を食べたいのネタバレ記事でもないです。
死を意識することを考えただけの記事です。

【君の膵臓を食べたい】
この物語は主人公と、
親友としての立ち位置だとは思うのですが、山内サクラ、この二人がメインの物語で、山内サクラは膵臓の病で余命があり、物語が進んでいったのですが、、、

最初の方に伏線があったんですね。

それは連続通り魔の事件。

長くなるので、結果的に言うと
サクラが膵臓の病で余命宣告されてましたが、膵臓の病が治るとか膵臓の病で亡くなってしまうのではなく、、

その残りの余命を全うする前に通り魔によって亡くなってしまう。

このラストには衝撃を受け、いろいろと考えさせられました。

主人公も「余命を全うすると思ってた、甘えてた」と悲しんでましたね。

人には平等な事がある、、、

それは【死】です

時間の流れと死には抗えないと言うこと。

どんなにお金持ちで人徳や名誉があり栄冠や成功を手にした人でも、、

どれだけ強靭で鍛えられた肉体を持っていても時の流れ、死は必ず訪れます。

生物に与えられた平等なもの。

時間は有限であり、その死と言うものを受け入れて意識する事が生きていく上で大切。

なので結果的に言うと、

ただ単に死を意識する!ではなく、

死と言うものを忘れずに意識して生きていく!

と、言う事が大切です。

最後の【生きていく】と言う事が。

死を意識するって何??

ただ単に死を意識する。
という言葉をよく見たりしますが、
小難しく考えてしまって死を意識するってどうしたらいいの?

とか思ったりもしたのですが、

先程も書きましたが難しく考えず単純に考えると、

・死は誰にでも平等に起こる

・死はどんな凄い人でも代わりがきかない唯一のこと

・時間は無限にあるのではなく有限であること

・それはいつ起こるか分からない

など、簡単に言うならそういう事を理解しておくことだと思います。

もうすでにこれだけで死を意識して生きる事を望むのは大切な事だな~って思います。

ただ、上記のような時間は有限でありみんな平等に必ず訪れるなどのことを理解した上で【生きていく】と、言うところが大切だと思います。

メメントモリは、生を意識することに変わる

世界の片隅にの本の作者の後書きに書かれたもので、引用させていただきます。

「わたしは死んだ事がないので、死が最悪の不幸であるのかどうかわかりません。
他者になった事もないから、すべての命の尊さだの素晴らしさだのも、厳密にはわからないままかも知れません。

そのせいか、時に『誰もかれも』の『死』の数で悲劇の重さを量らねばならぬ『戦災もの』を、どうもうまく理解出来ていない気がします。
そこで、この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描く事にしました。そしてまず、そこにだって幾つも転がっていた筈の『誰か』の『生』の悲しみやきらめきを知ろうとしました」

生と死は表裏一体で、

死を意識することで結局は今の現状や生活、夢や目標、大切な人の事など、生を意識することに繋がります。

自分が生きている事を感じなければ死と言うものは想えないし、生きていないのであれば死はやってこない。

その生を感じるからこそ、死と言うものも想えるんです。

死を意識して生を意識することで、
【生きることの有限さ】を知り、より良い生き方を選べるようになると思います。

が、それは正しくもあり間違いでもあります。

死を意識することが裏目にもでる

2011年に東日本大震災が起きた時には、「地域の絆が強くなった」

と言う報告があり、

これは人間の死に対する感覚だと思います。

死を意識する、想う事で人は自分にも優しくなるし、他人にも貢献的になっていくと言われます。

それは震災などの恐怖で死を意識してしまったが、
それと同時に【生】を感じ想った事で他人との絆が生まれました。

死の恐怖を逃れるために何か大きな安定するものを求める
今回の震災での大きな安定したものと言うのが、共同体と言う絆です。

より良い選択として、その絆を作り上げる事で死の恐怖から逃れ、立ち向かう事ができ、生きようとしていくのです。

しかし、その反対もあります。

一言で言うなら、
死を意識した時に投げやりになる事です。

例えば、

死を意識する事で健康的な生活をする場合と、
ジャンクフードやタバコなどを摂取する比率が増える場合とあります。

震災の場合ですと協力したって復興なんてすぐできないし、またすぐ地震くるかもしれないし、いつどうなるか分からないんだから頑張ったって意味がないと孤立して自分の身だけ守ろうとか。

それは死の恐怖によって今の行動が意味があるものなのか、
それとも意味がないものなのか!?

の考えで分かります。

いつか訪れるであろう死の恐怖により、

長生きのためと、自尊心を保って野菜や運動が必要だと考えたり、

逆にいつ死ぬか分からないんだから、健康的な生活を頑張ってしても無意味だと考えたり、、、

反応が真逆に現れる事があります。

健康的な生活の良さを知っている人、信じている人は健康的な生活を送るし、

それらが無意味だと思っていれば、どうせいつか死ぬから、、、と健康云々ではなく好き放題したくなります。

脅威管理理論

上記のようなその行動はどこからきてるのか?

これは心理学では「脅威管理理論」と呼ばれ、

人間はみんな心のどこかで死への不安を感じ、多くの行動はそれを解消するための行動をする。

と言われています。

健康の良さやメリットを知っていれば、健康的な生活や考えをしやすくなりますし、

健康の良さやメリットを知らなければ、不健康であっても好き放題をする生き方にもなってしまいます。

その不健康でも好き放題するのが悪いとは言えませんが、不健康な状態が続けば続くほど負の悪循環からは抜け出すことができません。

やはり健康は身体だけだなく心も健康な事が本当の健康と言えるので、
幸せに楽しく生きたいと思うのであれば、
健康の大切さを知ることはより良い人生をおくるためには必要な事であり知識なんですね。

健康的な生活は実行することで不安を少しでも消そうと、解消しようとするが、

不健康な生活の場合は死への不安に包まれ苛まれている状態です。

死への不安にやられ流され続けるか、それに立ち向かうか、、です。

迷いや悩みは強く生きたいと思う気持ち、本能の表れ

人は弱い生き物で、

潜在意識の中ではみんな死に対しての恐怖はあります。

でも、死の恐怖がありその有限さを感じているからこそ、

生きているし、

生きようとしてる、

辛くても悩むんです。。

先を考えるから、、生きようとしてるから悩むんです。

悩むと言う事はより良く生きたいと想う意思の現れです。

もし、その死の恐怖がなければ辛くなった瞬間に悩む暇もなく、、、、、と言うこともありえます。

人は潜在的に生きたいと想う生き物なんですね。

より良く生きたいと、そしてそれが普通であり欲求です。

その生きたいと思う気持ち、人によってはそれが隠れてる場合もありますが、潜在的には

“より良く生きたい”

と必ず思っています。

人は防衛反応として抑圧する生き物で、自分で無理だと決めつけた事に対して無理だとレッテルを張り、
何かに包んで覆い隠してしまい、それが何か見えなくなってしまいます。

その無理だと決めつけた事実を覆い隠して消す事で楽になった気分になるが、
楽になった分だけ生きる意欲も減ります。

そしてそれは隠しているだけなんですね。

いろいろ考えた結果

健康の知識や大切さ、
そして潜在的な欲求本能に気付いたうえで“死を想う”と言うことは必要な事であると思いました。

【メメントモリ】死を意識すること

死ぬ間際に本当に人生これで良かった!

苦労も多々あったが大いに楽しめた!
悔いなし!憂いなし!

自分の本当の夢を追いかけ、結果がどうであれ夢に向かって必死で生きた!

大切な人を想い、幸せにするために愛をもって接した!

名誉や名声はなくとも、自分がしたいと思える貢献や出来ることをしてきた!

もう一度この人生を、生まれ変わっても自分になりたいと言える!

最後の最後にそう思えるような、愛で満ち溢れていたことを思い出せるような人生って本当に幸せだと思います。

そして、そんな人生にするための方法が

【メメントモリ】死を想い意識すること

の、本質だと思います。

死を意識して生きていく。

それが自分の大切な人のため、夢のため、最高の人生にしていくための力になり、
人生をよりよくするための選択肢の入口になると思います。

最後に

死を意識して生きていく事、、、
それは迷いを減らし、自分の考えを鮮明にし行動する力を与えてくれます。

そして、死を意識する事で投げやりにならないためにも、、、

健康への知識、そして自分の潜在的な自分の気持ちに気付く事も大切です。

死を意識して得られる死生感、それを思う事で自分にとってより良い選択、そして最後に幸せと思える生き方をしていきたいですね。

 

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